よく笑う人 LEPSIM

いい一着は、表情に出る。

おとなになると、
それぞれの進む道は、
けっこう違ってきたりする。
だからこそ、
あれこれ話してみるだけで、
発見がある。出会いがある。

ESSAY

『いつも笑顔で』とは思わない

本谷有希子

INTERVIEW

私を笑顔にする、アレコレ。

劇作家/小説家の本谷有希子さんが、
笑顔になる瞬間とは?
本谷さんが自然体でいられる
という場所で、お聞きしました。

GRAPHIC

それぞれ違ったしなやかさを持つ
女性たちが着る、LEPSIMの冬。
笑顔に映える、
やわらかで着心地のよいアイテムが
揃いました。

よく笑う人 LEPSIM

MOVIE

アーティストの持田香織さん、
芸人/タレントの小原正子さん、
劇作家/小説家の本谷有希子さんが、
お互いをイメージしてコーディネート。
それは、意外な発見の連続で......。

大好きなモノに囲まれた持田さん。
それらを好きになった
きっかけのエピソードや、
ついつい笑顔になってしまう瞬間などを
語っていただきました。

BRAND MESSAGE

よく笑うひと

楽しいことがあったら、思いっきり笑う。
泣きたいことがあっても、泣いて、笑う。
だって、たった1日の間でも、
主婦とか妻とか、ママとか働く女性とか、
くるくると役割は変わるから、
思い悩んでるヒマなんてない。

そういえば、きれいなひとほどよく笑う。
大人になると、笑顔が素敵な女性のことを
美人っていうのかもしれない。

笑いジワ、上等。
重力だって、笑い飛ばそう。
なによりも一生懸命、
自分っぽい生き方をするほうが気持ちいい。
洋服だって、今日をとびきり楽しめる
笑顔に映えるものがいい。

『いつも笑顔で』とは思わない

本谷有希子

−前編−

笑顔が少ない人生だと思ったことは一度もない。
自分の写真を見返すと、
(その表情しか自然に作れないというのもあるが)
基本的に、大概笑顔だし、人といる時も
へらへらと謎の笑いを浮かべていることが
多いような気がする。

でも思い返してみると、
二十代の頃は決してそうではなかった。
それどころか高校を卒業し、上京したての頃、
私は笑顔を「封印」し、
無表情になるよう
極力努めてさえいたように思う。

田舎者と馬鹿にされたくなかったからだ。
なぜ笑顔を封印すれば、
田舎者のレッテルを貼られないと
思い込んだかはよくわからない。
けれど、おそらく私は
気安く相手に歯を見せることで、
自分の存在が軽んじられるような気が
したのではないか。
そして顔の筋肉がほぐれたことで
気が緩み油断してしまえば、
その瞬間、
自分という人間のボロが出てしまうと、
気を張り続けていたのだろう。

大人になって少しずつ
気持ちに余裕が出てきてからは、
そんなことを気にすることもなくなった。
あの頃、信じられなかった東京も、
他者も、世界も、
私がどんな人間であろうが
一切変わらずそこにあり続ける。
そのことが骨身にしみて
理解できたからかもしれない。

笑おうが、笑うまいが別に何も変わらない。

そういう信頼関係を世界と結んだあと、
私の表情は急速に笑顔の割合が増していった。
この調子で行けば、
「ああ、笑顔の絶えない人生だったな」
などと思い返しながら
天寿を全うする日さえ迎えるのではないか。
そう夢想しそうな勢いだったが、
結婚し、子供を生んで
親というものになったのを境に、
そんなイメージに徐々に疑念が湧くようになった。
それまで自分が笑顔だと思ってきたもの。
それは、実は笑顔でも
なんでもなかったのかもしれない。
そう悶々とせざるを得ない瞬間を
味わうことが
増えていたからだった。

長女が成長するにつれ、
そう思うようになったのだった。
どうも彼女が日に日に面白おかしい、
おふざけの好きな娘になりつつあることは
理解していたが、
5歳を過ぎた辺りから、
それがますます目立つようになっていた。

例えば、ある日、なんの前触れもなく、
裸体に麦わら帽子と靴下だけ、
という出で立ちでリビングで普通に過ごしている。
かと思えば、あらゆるところに正座して、
「せ〜い〜ざ〜マン。そらをと〜べ〜」と
自作の渋い歌を口ずさみながら虚空を指差し、
壁に向き合っている。
そんな姿を見るたび、私は呆れ、と同時に
顔いっぱいに笑みを広げ、
こう思ってしまうのだった。

「ああ、これが『心から笑う』ってことなのかも?

close
close

『いつも笑顔で』とは思わない

本谷有希子

−後編−

これまで自分が笑顔だと思ってきたものは、
単なる表情筋の移動だったのではと
疑わしくなるほど、
その時の娘に対する「反応」は
体の底から
自然とこみ上げてくるもので、
人工物も不純物も一切配合されていない、
天然成分だけで生まれた感情なのだ。

もちろん、これを世間では
単なる親バカと呼ぶことも
認識はしている。
第三者が見れば
面白くもなんともないこともわかっている。
けれど、私のこの感情は、
我が子が可愛い、というだけの
シンプルなものではないように思えてならない
(もちろん、それも多分にあるとは思うが)。
この感情はもう少し複雑にできている。
なぜなら、この時の私は今、
目の前にいる娘という存在が、
他者に、世界に、
百%受け入れてもらえると信じ切っている、
そのあまりに無防備な状態に感動して、
顔が綻んでいるのだ。
こんなふざけかたは相手を
心から信頼し切っていないと、
絶対にできないだろう。

きっと彼女はこれから成長するにつれ、
世界が自分の思い描いていた
場所でないことを学習し、
次第に傷つかないように、
馬鹿にされないようにと、
自分の「見せ方」を上手に
身につけていくに違いない。
その時、こんなふうに全てを委ねて、
「裸に帽子」や「正座マン」を
披露してくれるとは思えない。
ここまで手放しで、
自分をさらけ出してくれるとは思えない。

そういう私も、気付けば
「誰かに見せる」ための
笑顔が増えた気がする。
「私は笑っていますよ」と
アピールするために作られた、
社会的な笑顔だ。
そうして自分が相手を
信用していることをまず伝え、
相手からも笑顔を返してもらい、
私達はおそるおそる信頼関係を築いていく。
それが悪いことだとは思わない。
けれど、「とにかく笑顔は多ければいい」
とも思わない。
「いつも笑顔で」とも思わない。

誰のためとか、なんのため、
とかいう理由すらも取っ払って、
ただ気づいたら「笑顔だった」。
そんな状態がいちばん理想だ。

もうすぐ生後五ヶ月になる第二子の長男は、
毎日よく笑う。
そのとろけるような極上の笑顔を見ていると、
世界は彼にとって、
毛布みたいにあったかくて
柔らかい場所なんだろうなあ、
と思わずにいられない。
そんなふかふかの心地のいいものに
包まれた子供が、
無条件に私のことを信じて笑っている。
小さな口を開けて、きゃっきゃと声をあげている。
おーい、ここは君が思っている通り、
最高に居心地のいい場所だよ。
私はそう呟いて、
小さな指を握って笑い返してみる。
嘘を吐いている時の笑顔であることが
バレないように
ドキドキしながら。
そして、本当にそういう場所にしなければな、
と自分に喝を入れて、もう一度、笑う。

close
close